読んだ・見た・聞いた・考えた

忘備録 思考録 未来日記

政策実施は「周辺」になる②

前回の投稿では、介護保険料徴収業務の外部化が進んでいるのではないかということを示した。このデータは後ほど探すとして、事はそんな甘い事態ではないことが分かった。徴収業務どころか、認定審査全般、窓口業務を含めて、民間のデータ会社に委託する方向性が確認できた。

そもそも、私の認識不足で、要介護認定調査は居宅介護支援事業所や地域包括支援センターが行っているという意味では、外部化が進んでいる。以前の介護保険制度改革において、新規の認定調査に関しては、当該居宅介護支援事業所関連のサービスを誘導しかねないとして、自治体自らが行うように定められたことを考えると、外部化は加速度的に進んできたのではないだろうか。

そして、「要介護認定等に関する作業」として、さまざまな事業を外部化したのが、流山市である。ここは、平成25年度に、要介護認定等に関係する作業業務委託を公開型プロポーサル審査で行い、同年5月29日に株式会社 アール・オー・エスデザイン という会社が666万円あまりで獲得している。年度途中ということもあり、委託内容そのは限られたものであったのだろうか、委託金額はそれほど多くはない。この時点での仕様書や公募の案内などは入手することが出来ていない。

 

その後、現在、平成26年度の同様の業務委託の公募が、平成26年1月14‐27日を募集期間として行われているた。この業務委託については詳細を知ることが出来る。

http://www.city.nagareyama.chiba.jp/life/15/10430/016284.html

仕様書を見ると、6,600件の要介護認定申請にまつわる業務、190回近い認定審査業務を、少なくとも管理者と常勤職員の2名体制で行うこととなっている。

業務の内訳書を見ると、業務を細分化し、その業務に割く時間の目安が記載されている。憶測では、平成25年度の業務委託は、このタイムスタディとマニュアル作成を委託したのではないだろうか。

業務委託費は、約1,600万円以下とするとしている。平成25年度に受託した業者が三ん有するのか、あるいは他所がとるのか今後見守る必要があるが、流山市にとっては経費節減効果が期待できると考えられるものの、業務内訳書に記載されているような仕事内容が、市役所内に伝承されないでいいのか、特に【援助的な業務】がどの程度含まれているのかについては、注視していく必要がある。

 

このような流れは止めることが出来ないのかもしれない。そうだとしたら、何を自治体に残し、何を外部化可能なのか、その程度の違いによって、アウトプットや住民生活のアウトカムにはいかなる違いが生まれるのかについて、実証的に研究したうえで、自治体の役割を改めて位置づける必要があるだろう。

政策実施は「周辺」になる

自治体による福祉政策の「実施」が、どんどん「周辺」化されていき、コアではなくなってきている。

公立保育所の民間委託、学童保育の公設民営やその指定管理者制度の導入など、実施そのものから手を引いている事業はここ10から20年でとても多くなっていているのではないか。古くは、1990年代のホームヘルプサービスの直営や社協単独委託から徐々に供給主体が多元化していったこともあるが、ここ数年は、いわゆる直接処遇だけではなく、ニーズをキャッチしうる窓口業務までも非常勤化や民間委託化が進んでいる傾向があるのではないか。高齢分野の地域包括支援センターや、障害分野の相談支援事業所は民間の社会福祉法人等が運営しているケースが多く、その意味では窓口業務の民間委託は進んでいるが、それだけではない。

例えば、「公共サービス改革基本方針」の改定(国民健康保険関係の窓口業務及び

国民健康保険料等の徴収業務の民間委託に関する留意事項)について」http://www5.cao.go.jp/koukyo/chihou/tsuchi/choshu/pdf/190330-a00.pdf

という文書が平成19年に出されている。

また、平成20年には、「「公共サービス改革基本方針」の改定(介護保険関係の各種届出書・申請書の受付及び被保険者証等の交付業務の民間委託に関する留意事項)について」という文書が出されている。

http://www5.cao.go.jp/koukyo/chihou/tsuchi/madoguchi/pdf/tsuchi20080328.pdf

おそらくこれを契機に、国保はもちろんのこと、介護保険の徴収などについても民間委託が進んでいるのではないか。

 

大阪市では、平成25年4月より介護保険料の徴収業務もNTTの子会社に委託していることが分かった。

http://www.city.osaka.lg.jp/fukushi/page/0000206989.html

 

窓口業務のみならず、認定調査等も含めて、今後窓口業務も委託されるのであろうか。社会福祉業界では、この問題についてもう少し議論したほうがいいのかと思う、。ttp://www.toseishimpo.co.jp/modules/series/index.php?id=161

 

 

 

薬学教育6年制の経緯と薬剤師の需給状況

「残る薬剤師」「消える薬剤師」 (ZAITEN BOOKS)

「残る薬剤師」「消える薬剤師」 (ZAITEN BOOKS)

第1章 「薬学教育6年制」の衝撃 

 薬学教育は4年生から6年生へ移行した。そもそも薬学教育は、調剤よりも創薬の教育に重きが置かれ、基礎科学とくに有機化学に関する学習内容が厚く、医療ケア従事者としての教育内容は薄い状態であった。例えば実習教育については1週間程度、加えて見学実習程度であった。

しかし、1992年に医療法の改正がなされ、薬剤師が「医療の担い手」として明確に位置づけられれることとなった。これは調剤業務、病棟圧胴、医薬品に対する総合的なリスク管理などの業務拡大などの中で、医薬品を通じて患者をケアする視点をつける声にこたえるためのものであった。

当時の文部省や国立大学などの薬学教育サイドは、4年生教育で十分という立場であり、薬剤師の監督官庁である厚生省とは異なる見解であった。そのため1994年には厚生省が「薬剤師養成問題検討委員会」を設置し、薬学教育6年制を打ち出したものの、文部省再度では1996年に「薬学教育の改善に関する調査研究協力者会議」が4年制教育堅持を打ち出した。その後省庁同士と薬剤師会などの職能団体、高等教育機関などで相互に議論が行われ、2002年に文部科学省が6年生を容認し、学校教育法及び薬剤師法が改正されて6年制へと移行することとなった。

6年制化によって、基礎薬学に留まらない医療薬学に関するもの、医療人としての技能や態度に関する内容、問題解決能力の涵養といった深い知識を獲得するモデル・コアカリキュラムに準拠した学部教育、及び病院や薬局での長期実務実習が行われることとなった。

4年生では薬学共用試験が行われ、全国の薬学部教育で統一基準で行われる試験で、これをクリアしないと長期実務実習を行うことができない。客観試験CBTと、客観的臨床能力試験OSCEとが行われ、適格性が審査される。

長期実務実習は、薬局11週間、病院11週間行われ、これまでと異なり見学ではなく参加型の実習である。一つの薬局で受け入れることのできる薬学生の人数は2人まで。調剤や情報活動、医薬品管理など病院・薬局共通の内容とともに、病院では病棟活動、院内製材、注射剤調剤、薬局では窓口業務、薬局製剤、在宅医療、OTC医薬品などについて学ぶ。

2011年度(2012年3月)に6年制教育の初めての卒業生がでたが、入学者は1万3千人余だったが、修了者は約8,600人。薬学共用試験段階で相当数が進級できなかったこと、合格ライン以下の学生を国家試験を受けさせなかったようなことが要因。

2012年4月採用は、病院において空白の2年間で欠員が生じ、また病棟薬剤業務実施加算が新設されたことから、病院薬剤師の採用枠が多く、調剤薬局の採用は苦戦した。それ以前は調剤薬局が3割以上、進学が25%で、病院は17%であった。(2009年)

薬学部の定員割れは、2010~11年に続いたが12年には充足している。しかしながらこれは全体の話で、個々の大学では定員割れが続いているところがあり、2012年度は19校が定員割れ。充足率が70%以下の大学には文部科学省は指導をしている。

 

第2章 薬剤師過剰時代の到来 p39-

薬剤師は供給過剰と言われている。2007年の厚労省「薬剤師需給の将来動向に関する検討会」によると、数字の上では単純計算で2011年度に7万5千人、14年度には8万4千人が過剰になるとされている。しかし、これは地域偏在も原因で、都市部では調剤薬局やドラックストアの出店でむしろ薬剤師不足が発生している。また薬剤師の6割以上は女性であり、入社4-5年ごろから結婚による休職や退職がある。再教育なども検討が必要。

3月14日城西大学で専門職連携教育のシンポ開催

3月14日 13:30-16:00 城西大学清光ホール(東武越生線川角駅)

 

講演1 千葉大学亥鼻IPEのホップ・ステップ・ジャンプ

 千葉大学医学部付属病院薬剤部教授 石井伊都子 先生

講演2 埼玉県立大学におけるIPEの到達点と今後の課題

 埼玉県立大学保健医療福祉学部看護学科教授 大塚眞理子 先生

講演3 埼玉県立大学IPEの魅力、大学連携の意義

 埼玉医科大学医学教育センター 准教授 柴﨑智美 先生

意見交換 大学・学部を超えたIPEの課題と展望

 コーディネーター 埼玉県立大学保健医療福祉学部社会福祉学科講師 新井利民

f:id:to4ta3:20130221121646j:plain

大学や学部を超えた専門職連携教育(IPE)を展開するにあたっては、各大学・学部で学ぶ学生の特徴や教育プログラムの特色、関係する教職員の状況、実習先の協力体制、地理的制約など、様々な条件を加味したうえで、学生主体の学習機会を保証していくことが重要です。

本シンポジウムでは、各大学のIPEのこれまでの到達点と課題を共有し、大学や学部を超えた質の高いIPEのプログラムを構築するにはどのような取組が必要なのかについて、検討します。

教育関係者や職場での多職種連携に課題を感じている保健医療福祉の実践者はもちろん、在宅医療・在宅介護等を踏まえ、生活環境をデザインする建築関係の方など、多数の参加を心からお待ち申し上げます。

http://www.spu.ac.jp/recept/form.rbz?cd=17

研究指導教員の見つけ方・指導の受け方(2008.3.31深井純一先生からの書簡)

去る3月28-29日素晴らしく個性的な新居に泊めていただきありがとうございました・・・(中略)

・・・大学は学部も大学院も自分が自立して学ぶところ。指導教官にも依存しすぎないで批判的に学んでください。他大学、在野も含めて自分が吸収したい、指導を受けたいと思う先達を探して、その人が見つかったら、その人の論文や実践記録などを読み抜いて感想・批判のラブレターを送り、応答してもらえたら会いに行くことです。大学・在野を問わず研究者に会いに行く時はその人の代表的著作を読んだ(できれば感想を送った)後に会いに行くことが礼儀です。若い院生や新聞記者が「先生の代表的著作は何ですか」と聞くことがありますが、そういう相手とは研究に係る対話が成立しません。このような所属大学院に限らない交流と師事の輪を拡げていくことが大学院時代の重要な課題となるでしょう。学会はそのような指導者探索の機会として活用することです。自分が鋭角的な報告を工夫して、質問してくださる先達に出会ったら、その人に食らいつくことです・・・・(略)

北本市における学童保育への指定管理者制度導入のせめぎ合い~説明力のない市・疲弊する父母…今後は「好条件での指定」を引き出す運動へ~(2013.2)

1.運営体制の改善が必要だが手を付けられなかった時期(~2008年度)

北本市の学童保育は、1975年に当時の子どもを持つ親たちの共同保育からスタートし、設置運動によって各小学校に設置されてきた。しかし1982年に市議会が「公設民営」を決定し、それ以降、一部を除いて北本市学童保育連絡協議会(以下「連協」)によって統一運営が行われた。現在では全8小学校区・11の学童保育室を統一運営している。

指定管理者制度に関しては、地方自治法改正時より、市側から制度導入とNPO法人格の取得の要請があったようである。実際、障害児学童保育室や障害者支援施設などに指定管理者制度が導入されるに至っている。

連協では市側に対して同制度が導入されると保育の継続性が損なわれるのではないかという不安などについて意思表示をしており、市側も強硬な導入には至らずにいた。しかし連協による運営については様々な問題があり、2008年度には市監査委員会からは、①補助金を上回る余剰金がある、②決定事項の記録、予算執行に関する敬意と責任が不明確である、③父母名簿がなく責任所在が不明である、④父母の積極的参加がない、⑤規定の整備が不十分である、⑥経理の監視、指導員の服務の徹底が必要である、等の指摘がなされた。これらの指摘は監査委員の認識不足や担当課の不作為が多々あることは否めない。しかし、指摘された事項以外の点においても、市全体として学童保育の運営力が低かったのは事実であった。2010年に行った利用者アンケートにおいては、役員等をしなくてはならないことに対する負担感、施設の狭さや古さ、保育料の軽減(きょうだい割引など)、閉室以降の保育サービスとの連携、学童間の指導員・保育の質の格差の是正、長期休暇中や土曜保育の開設時間の不一致、保育内容の充実(学習・文化活動など)、保育の質等に関する意見や苦情を言える場の確立、保育中の事故に対する誠意ある対応の仕組みづくり、障害を持つ子どもの保育受入れプロセスの明確化と透明性などの指摘があり、ハードの問題などはさておき、運営改善の余地は多々あった。

その後市監査委員会からの指摘に対しては、内部留保に対する正当な論理が確立できずに21年度予算は前年度に比して減額される一方、運営体制の改善についても議事録の整備や様式の統一に留まり、父母の要望に応え、指導員の労働条件の整備に対応した取り組みを行うには、さらに運営体制を強化する必要があった。

  2.大規模分割問題による指定管理者制度導入への急接近(2009年度)

2010年4月から71人以上の学童保育室には補助金を拠出しない」との厚生労働省の方針、いわゆる大規模分割問題との関連で、指定管理者制度導入に対する市側の動きは加速した。当初、20099月に、市担当課が各学童父母会に対して、「案①設置・管理条例の「小学校低学年を対象とする」に従い、4年生以上は退室してもらう」「案②入室基準を設けて70人で足きりをする」という考えを示してきた。これに対して各保育室の父母会は猛反発・紛糾することとなった。その後市担当部長より「条例を改正して、6年生まで入所可能とし、また1小学校区複数学童設置を認めることとし、現行の大規模クラブ3か所を分割する。その際にはNPO法人格の取得と指定管理者制度導入を行う。これが受け入れられないのであれば、厳格な入室基準を市側が設け、大規模学童の児童の足切りを行って分割は行わない」との発言があった。これまで利用していた児童が利用できなくなる危惧があることから、取り急ぎ大規模問題解消を願って市側に依頼し、指定管理者制度に関しては別途説明することを求めたが、12月に行われた市による指定管理者制度に関する説明会では、父母による反対意見が続出した。しかし、2010年度予算において学童保育分割整備金が可決され、同年度中に3か所の分割を行うことだけは確定した。

このように本来性格が異なるはずの、大規模分割問題と、指定管理や法人格取得の問題とが、取引材料として提示された。最終的には市長も交えて2009年度の連協役員が面談し、市側は大規模分割をする、すなわち指定管理者制度を受け入れたという認識が形成された。その後指定管理者制度導入に関する具体的な説明は父母や指導員に全くなく、疑念や不安について市側に文書で投げかけたものの、回答はなかった。

 3.指定管理者制度の学習活動と法人格取得の準備(2010年度)

連協では2009年度より指定管理者制度特別委員会を設け、2010年度も新たな委員たちは何が問題かがわからない段階から学習を続けた。委員になった父母たちは、勉強すればするほど、指定管理者制度導入反対の認識を深めたが、委員ではない親への認識はあまり広がらなかった。同委員会の議論の成果を取りまとめ、議員懇談会を開催したが、参加議員は少数にとどまった。

一方、市担当者と連協役員等とは、何度となく面談があり指定管理者制度について投げかけがなされた。201012月には、保健福祉部長、子ども課長などが指定管理者制度についての説明を父母会などで実施した。参加した保護者からは、これまで述べたような疑念がある点、全国的には学童保育への指定管理者制度導入によって弊害が多数報告されている点、業務委託形式でそもそも問題はないという点、また今の父母会・指導員の運営においても組織基盤・運営基盤がぜい弱なため、単にNPO法人化しても指定管理に耐える運営体制は整えられていない点、などについて訴えた。

指定管理者制度に関する学習活動と当時に、特別委員会を設けてNPO法人格取得への準備も進めた。特別委員会では、先行して法人格を取得している団体から講師を招いて学習し、定款の作成などを進め、また運営体制のあり方についても定めて行った。また連協としても、8小学校区の学童運営に関して管理的経費は全く計上することなく丸投げしてきたことについて市に問いただし、NPO法人格の取得に耐えうるような組織基盤・運営体制が整えられるように、人的・金銭的支援をすることを約束させた。その結果、2011年度よりようやく管理的経費の一部を委託料に上乗せして予算されることとなった。また、万が一指定管理者制度が導入された時には、選考委員会に利用者代表を入れるように訴え、「検討する」との回答を得た。併せて行政担当者には、運営基盤の確立と指定管理者制度とは分けて考える必要があることを申し述べたが、管理的コストをさらに計上させる点については、指定管理者制度導入を前提としたものであるという認識を現在も変えてはいない。

 4.社会的責任のある子育て支援団体へ:NPO法人化と運営体制の整備(2011年度)

2011年春の統一地方選挙では市議会議員及び市長選挙が実施されることから、立候補予定者に対してアンケート調査を実施した。回答候補者が少なかったものの、関係者の合意なき指定管理者制度の導入に対して反対の意思表示をした市議会候補者はすべて当選。しかし、学童保育への指定管理者制度導入に反対の意思表示をした市長候補者は落選して現職が再選し、その考えに同調するであろう議員も過半数を占める状態となった。

2011429日に実施した2011年度第33回連協総会では、NPO法人の設立と連協の解散及び新法人への移行を決議した。新法人の名前は各学童の子ども達から募集し、投票によって「特定非営利活動法人北本学童保育の会うさぎっ子クラブ」となった。ちなみに北本市の市域はうさぎの形をしていると小学校で教えられるとのこと。

法人設立が承認され、2年任期の理事による理事会を中心に、財務委員会、人事・労務委員会、保育事業委員会などの委員会活動を行いながら、様々な課題の解決を図ることとなった。まず、夏の電力需要のひっ迫に伴う土日祝日の開室に関しては、さっそくニーズ調査を行って一定数の利用が見込まれることから開室する措置を取った。その後災害マニュアルの整備、諸規定の見直し、事故報告書の集計、各父母会会計から本体事業を引き上げることによる負担軽減策の検討、苦情解決制度の確立など、これまであまり手を付けてこなかった部分の見直しや、新たな仕組みの確立などを行ってきた。

 この年度の指定管理者制度に関する動きとしては、7月に市長とのタウンミーティングがあり、市長は改めて指定管理者制度導入の意思を表明、市役所担当課に法人との定期的な打ち合わせや理事会の出席を指示し、できるだけ早い時期に導入することを目指したいとした。市長の認識は当日のブログに率直に表れている。

 ・・・(略)数年前に全く同じ趣旨で連協とタウンミーティングを行っています。その時出席した方はいますかと尋ねたところ一人もいませんでした。 出席した役員だけで指定管理者導入について了承するわけにはいかないというので、それではまた何年かのちに全く同じ話をすることになるでしょう。せっかく指定管理者について理解していただいても皆さんは卒業され、また新しい方が勉強するところから始まり、不安と不信で結論が出ない。責任者は私であり、指定管理者の導入を決定してもよいのですが、そうするとおそらく反対運動がおこり、署名活動が始まり、街宣車が市内を走り回り、いらぬ混乱を招くことになるでしょう。

学童保育所に関しては現在職員が配置されているわけでもなく、経費節減ということはそれほど念頭にはありません。逆に事務局体制の強化や給料のあり方を見直すことで経費が増大することもあるかもしれませんが、適正な運営をするために指定管理者制度の導入が必要であると考えています。少なくとも抽象的な議論ではなく、指定管理料がどうなるか等の具体的な検討をしない限り同じ繰り返しではありませんか。子どもたち、保護者のことを考えているのは私もまったく同様です。

指定管理者が連協以外ということもよほどの不祥事等がない限り考えられません。次の市長になったらどうなるかまでは保証できませんが、私はお約束できると思います。

(中略)指定管理者制度導入を了承したということではなく、指定管理者になった時に指定管理料がどうなるか等を具体的に一緒に検討する、ということを確認して終わりました。   

http://kenji-ishizu.seesaa.net/article/217699355.html

北本市長石津賢治の情熱ブログ」より)

 

結局のところ、数年前のタウンミーティングと同じことを繰り返し、また今後も繰り返す可能性があるのは、市長や市担当者の説明力の不足、それにともなう利用者・運営者である連協やNPOとの信頼関係の形成ができていないことに起因する。その努力が不足しているゆえに「混乱」や「反対運動」が発生する可能性があるのだが、いつの間にか「連協や親の<了承>がないとすすめられない」「了承しない理由がわからない」という苛立ちの物言いになっている。

はっきり言えば、この数年間で親たちは指定管理者制度に関する勉強を強いられ、子どもと過ごしたい時間を割いて活動を行っているという点で、すでに「混乱」を招いている。さらに言えば30数年間市は学童保育事業に手をあまりかけてこなかったという意味で、ずっと混乱状態である。この混乱状態を終息させる決意と行動が、市長等執行部や市議会議員にはあるはずであるが、そのような認識が不足していると言わざるを得ない。我々の働きかけも不足していたことも一因だろう。 

5.迷走する市・好条件の指定を引き出す必要性(2012年度・今後)

 2012年度、担当課の課長が異動、改めて指定管理者制度の導入について要請がある。その後何回か面談し、法人理事会としては指定管理者制度に関して賛否の立場性は表明せず、導入された際には指定されうるように基盤を整えると同時に、適正な指定管理料が支払われるように十分な協議を行うこと、父母会連合会や指導員、指定管理者制度対策特別委員会などには十分説明するように強く要望していた。しかし夏に入ってから、9月議会で指定管理者制度導入について議案を上程するので、随意指定の場合は法人で受けるのか否かについて回答をしてほしいとの請求があった。我々の要請により父母および理事会での説明を行ったが、特に父母会へはわかりやすい資料提示が必要だから用意しておくようにと教えたにも関わらず、全く資料を持参しないで説明に臨む姿に、関係者は諦め・呆れを感じた。説明会や理事会との話し合いでは案の定批判が噴出し、その後恐れをなした担当課からは9月議会には出さないとの連絡を受ける。

12月議会にも上程されなかったが、担当部署としても市長から指示されている手前どのように進めたらいいかお手上げの状態で、「合意が得られた学童保育から指定管理者制度を導入していく」などという、我々にとっては最悪のパターンの導入案も構想しているようであった。定期的に実施している父母会連合会にて説明をし、親が持つ疑念や不安に一つ一つ丁寧に対応していくほかないのではないかと我々が伝えたところ、先日127日に行われた父母会連合会に市担当者が参加した。持参資料は相変わらず仕様書案や条例案のみで、一般の父母の疑念や不安にこたえるような内容ではない。また、2013年度の9月議会に議案を提出したいので、父母の要望を聞いていきたいとのことだった。父母会側が以前より示していた質問や意見(選定及び評価委員会に利用者代表を入れること、事務量が増えることから管理費に関してさらに上乗せする必要があることなど)などについては明確な答えや方向性さえも示せない。このような市や担当課の姿勢が、結果としてこの問題を長引かせていることに、まだ理解していないのである。

市はもう導入を前提としている以上、このまま同じことを繰り返すのは親にとっても法人にとっても疲労感のみが残る。2013年度は、より良い条件で指定を受けるための勉強や働きかけをし、これまで以上に良い保育ができるように、指導員体制や運営体制を強固なものにしていくことが必要であると考える。

 6.まとめ 

共同保育、親の会による学童保育の運営は、「市民活動」「NPO活動」「第三の公共」などと言われるようになったこの20年のもっと前から、時代を先取りした活動であったとえいる。学童保育の制度が劇的に拡充することがない中では、行政直営や社会福祉協議会委託の学童保育は保護者ニーズにそぐわない硬直化した運営にならざるを得ず(政府の失敗)、株式会社の参入による民間の学童保育がつくられるものの高い利用料で普遍的に利用できるサービスにはならず(市場の失敗)、そんな中父母会や関係者による公設民営学童や民設民営学童は、利用者の参画による柔軟な運営を目指すものとして期待がもたれる。

しかし、すくなくとも北本市における学童保育の運営については、もちろんいい面はたくさんあるものの、諸課題があまりにも多いまま、ある意味手を付けられないで長らく運営が継続されてきたと言わざるを得ない。入室審査も本来は市がやるべきことだが、あいまいなまま任されてきたために、個々の父母会で入室を断るなどのことも実際にはあった。また利用時間や父母の負担も保育室によってまちまちだったり、労務・財務・危機管理などについても素人の父母が1年スパンで考え改革する必要があるなど、自らの力で組織を改革する力に欠けていた(ボランティアの失敗)。

法人化により、自立した市民による責任ある子育て支援団体としての学童保育運営団体への成長を目指しているが、今後も運営の担い手の確保が課題になることは同じである。個人的には働く父母と指導員による運営は、今後は限界をきたすと考えられ、幅広い年齢層から法人運営の中核となるような人々の協力を得ていく必要性を感じている。

また一方で、行政においては、今後指定管理者制度を導入することによって、運営法人を単なる一事業者として扱うメンタリティが形成されるのは必至である。このようになってしまうと、行政と市民とを分断し、協働して子育て支援事業をつくりあげていく契機を失わせてしまうことから、単なる一事業者として扱うのではなく、子育て支援を遂行する対等なパートナーとしての関係を結べるよう、変わり続ける担当者に対して粘り強くかかわっていくことが必要である。

 

「研究者の独創性はいかにして体得されうるか(試論)」(2008.3.16深井純一先生からの書簡)

すぐれた研究者となるには何よりも独創性をゆるぎなく体得することが不可欠だということは、すでに聞いておられると思います。問題はその体得がいかにして可能になるかということです。私は2つの基本点を提起したいと思います。

 その第1は、自分の目指す分野と専攻テーマに関する大家、権威者とされる学者の理論を批判的に検討することです。一般に院生の研究の基礎作業として先行研究の概観が求められますが、その段階から批判的摂取が始まるべきなのです。私が院生だった時、宮本憲一氏の最高の著作である『社会資本論』が刊行されましたが、私は『農業経済研究』(学会誌)の書評欄に三点を批判する書評を寄稿して、宮本氏に掲載誌を送り、東京から大阪市大の宮本研究室まで鈍行にのって着弾のいかんを確かめに行きました。その時宮本氏は2点について私の批判を的確だと認めてくださり、後に考察を深めてみると(おっしゃったのでした)。私の批判は誤ってはいないとしても致命傷になっていないと思ったのですが、氏の若い私に対する謙虚な態度が気に入って、それ以来門外の弟子となりました。

他方その後・・・(中略)

私は自らの学部・大学院時代の恩師・古島敏雄氏に対しても批判的摂取の姿勢は変えませんでした。1983年に、氏のお宅を訪ねて「私の大学院の後輩たちとともに、先生の学説を批判的に検討する研究会を毎季、年4回開催したいが、先生にも参加していただけないか」と申し込んだのです。先生は大喜びで参加を快諾され、体力がないのでご自宅を研究会の会場として使ってほしいと言われました。それから2年間、約8回の研究会が重ねられましたが、夫人の話では2日前から緊張して研究会の準備に没頭されるのが常だったそうです。この研究会の成果が、古島・深井編『地域調査法』として刊行されたのです。

・・・(中略)・・・

 2つ目の基本点は、第一次資料を発掘する、あるいは当事者の証言を集めてそれを創り出すことです。自分のテーマに関わる現場の自治体、福祉施設などの職員、住民などとの血の通い合う関係を構築して、本音で語ってもらえる証言:内部資料を提供してもらえる条件を確保することです。この点は、私の「最終講義録」「水俣病…内部資料の収集過程」において具体的に触れておきましたが、”協力してもらう”のでなく”一緒に共同研究する”間柄に接近する努力を重ねることです。地元の新聞記者や図書館司書もその共同研究の相手に加えることです。

 

 2007年度後期から同志社大・大学院総合政策科学研究科で『社会調査法』という受講生5名のゼミ的な授業を担当し、今年2008年度後期にも開設の予定です。その授業において上記の第2点に関わる私の経験をお話ししています。