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忘備録 思考録 未来日記

深井純一先生を偲ぶ会(2013.1.26)

奈良ホテルにて、恩師であった深井純一立命館大学名誉教授を偲ぶ会に出席。全国から150人が集う。1期生の方は1972年卒、最後の27期生は2007年卒。先生の仲間も多数。東大農学部時代に長野県に行ったいきさつを小林元一氏(信濃生産大学で活動をともにしたという)が話す。千曲川のダム建設に際し、深井先生は様々な資料を持ち込んで農民とともに学習運動を行って論陣を張ったという。小林氏には「主権者としての農民を育てる学習―信濃生産大学→信濃労農大学」(千野陽一編『戦後社会教育実践史』第2巻(1974年)第Ⅳ章「主権者を育てる労農学習運動」所収)という作品がある。また、金井省二氏(数学者)は、やはり学生時代に、地元で住民や労働者と繋がりながら学習をする運動で一緒になり、「本牧市民と学生の会」という活動をしていたという。またとても興味深かったのは、哲学者古在由重が行っていたゼミに参画し、学んでいたということ。昨年出版された古在の評伝本に深井先生は9回登場しているらしい。本の著者岩倉博氏は、評伝取材の中で「深井の生き方は、古在そのものである」というコメントを得たと、声を震わせながらスピーチしていた。他に考古学者の都出比呂志氏(阪大名誉教授)、建築家の立花直美氏(武蔵野美術大学)、布施茂芳氏(元共同通信福岡支社長)、中国史研究者の古厩忠夫(故人・新潟大学)の奥様などがスピーチし、長野県阿智村の岡庭一雄村長からのビデオレターも含めて、先生の学生時代や教員時代の、今まで知ることがなかった貴重な話を聞くことができた。圧巻は先生のパートナーの闘病記録。2003年から亡くなった日まで、ファイルやノート十数冊に記録していたという。読ませていただいたが、入院・転院を繰り返し、先生と奥様の無念さが身に染みる。また、2010年夏に再度入院し、以降長い入院生活を送るのだが、最後に先生と銀座で会食したのが入院の直前であったことが分かった。いろいろな教えを、銀座の喫茶店で話してくれたが、もうその時は相当体調が悪かったということだ。あの時の会話は、まだ鮮明に覚えている。
スピーチしたどの方も、深井先生の「現場」に立脚した視点、権威を嫌い社会の矛盾に絶えず敏感にスポットを当て追及すること、命を慈しむ心について話していた。
われわれを愛してくれた深井先生を、もっと学ぶ必要がある。1月27日、先生の一周忌。