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忘備録 思考録 未来日記

卒業生が心配になる(『生活保護:知られざる恐怖の現場』)

今野晴貴生活保護:知られざる恐怖の現場」筑摩書房 を読了。

水際作戦や、辞退届の横行など、そして孤独死という名の、「貧困死」「餓死」にいたるプロセスの詳述など、読んでいて、言葉は悪いが、「気分が悪くなる」。

 この気分の悪さは何か。もちろん、友人には貧困問題に取り組む者もいるし、この書で語られている状況に至る問題点は理解できる。何とかしなくては、と思う。でも、この気分の悪さは何か。。。。

 それは、私自身がこの「恐怖の現場」に一役買ってしまっている、ということなのだろう。毎年、ゼミ生や実習指導にかかわった学生が、福祉事務所に就職していく。彼らは生活保護業務を初年度から担当することが多く、90件、100件を担う。毎日残業して残業手当で僕の給料と一緒ぐらいになるという。一年後あった卒業生からは、自分が考えていたものと違いました、などとの言葉をもらう。しばらくしてから会った卒業生からは、「あれ」というような発言を耳にする。もしかしたら、この本に表現されている言葉を、教え子たちが吐いているかもしれない。

 学生時代に、制度の制約、組織の締め付け、貧困世帯の状況、そこから支援をどう構築していくか、ということを、教えられたのだろうか。

 昨日の授業でも、「制度の情報提供や既存の制度に当てはめるだけだったらソーシャルワーカーはいらない」「必要なのは、ないものを作り出したり、ないつながりを作り出すという、クリエイティブなところ。」と話したばかり。

 また別の授業では、どんどん民間にゆだねていくのが社会福祉の流れで、それは硬直化した官僚制組織による福祉制度を改革していくという方向性だった。しかし今とわれているのは、そのような中で、いかに自治体や国の役割を明確にし、位置づけていくか。ということを話しをした。研究ではそこを取組んでいるが、授業では抽象的な話にとどまり、具体性がない。

 こうして、私たち教育現場は、この「恐怖の現場」の再生産に加担している。

 この書は生活保護の「恐怖の現場」と、そして生活保護バッシングの構造的把握と、その要因について丹念に考察している。最後には、生活保護の分割を提案している。つまりボーダーライン層が医療や教育などの支出に伴って生活保護に「転落」するのではなく、最低賃金を上昇させ、医療や教育を無料化することによって、「ナショナルミニマムの構築」という政策戦略を取ることを提唱する。

 大きな方向性として筆者は上記を示すものの、当面の生活保護行政の改善として、福祉の担い手の問題を挙げる。社会福祉主事さえ取得していないワーカー、社会福祉専門職教育、そして岡村重夫を引合いにだし、制度の枠ではなく、制度にないものを創造する、というようなことが重要と述べる。

 しかし、この当面の改善点としての担い手の問題は、精神論の域を出ない。ストリートレベル官僚として、市民と制度のゲートキーパーとなっているワーカーが、適正化政策や生活保護行政の救貧的なメンタリティによって、抑制的に働いてしまう、ないしはその言動が餓死・貧困死に追いやっているということを、さらに理論的に明らかにして、官僚制組織のメカニズムに対するアプローチを考えないと、当面の改善点もままならない。

 やはり、福祉事務所で頑張っている卒業生の顔が、目に浮かぶ。

生活保護:知られざる恐怖の現場 (ちくま新書)

生活保護:知られざる恐怖の現場 (ちくま新書)