読んだ・見た・聞いた・考えた

忘備録 思考録 未来日記

深井純一先生を偲ぶ会(2013.1.26)

奈良ホテルにて、恩師であった深井純一立命館大学名誉教授を偲ぶ会に出席。全国から150人が集う。1期生の方は1972年卒、最後の27期生は2007年卒。先生の仲間も多数。東大農学部時代に長野県に行ったいきさつを小林元一氏(信濃生産大学で活動をともにしたという)が話す。千曲川のダム建設に際し、深井先生は様々な資料を持ち込んで農民とともに学習運動を行って論陣を張ったという。小林氏には「主権者としての農民を育てる学習―信濃生産大学→信濃労農大学」(千野陽一編『戦後社会教育実践史』第2巻(1974年)第Ⅳ章「主権者を育てる労農学習運動」所収)という作品がある。また、金井省二氏(数学者)は、やはり学生時代に、地元で住民や労働者と繋がりながら学習をする運動で一緒になり、「本牧市民と学生の会」という活動をしていたという。またとても興味深かったのは、哲学者古在由重が行っていたゼミに参画し、学んでいたということ。昨年出版された古在の評伝本に深井先生は9回登場しているらしい。本の著者岩倉博氏は、評伝取材の中で「深井の生き方は、古在そのものである」というコメントを得たと、声を震わせながらスピーチしていた。他に考古学者の都出比呂志氏(阪大名誉教授)、建築家の立花直美氏(武蔵野美術大学)、布施茂芳氏(元共同通信福岡支社長)、中国史研究者の古厩忠夫(故人・新潟大学)の奥様などがスピーチし、長野県阿智村の岡庭一雄村長からのビデオレターも含めて、先生の学生時代や教員時代の、今まで知ることがなかった貴重な話を聞くことができた。圧巻は先生のパートナーの闘病記録。2003年から亡くなった日まで、ファイルやノート十数冊に記録していたという。読ませていただいたが、入院・転院を繰り返し、先生と奥様の無念さが身に染みる。また、2010年夏に再度入院し、以降長い入院生活を送るのだが、最後に先生と銀座で会食したのが入院の直前であったことが分かった。いろいろな教えを、銀座の喫茶店で話してくれたが、もうその時は相当体調が悪かったということだ。あの時の会話は、まだ鮮明に覚えている。
スピーチしたどの方も、深井先生の「現場」に立脚した視点、権威を嫌い社会の矛盾に絶えず敏感にスポットを当て追及すること、命を慈しむ心について話していた。
われわれを愛してくれた深井先生を、もっと学ぶ必要がある。1月27日、先生の一周忌。

学童保育事業に関する研究(仮称) メモ(2009.7.7作成)

【注目したい点】

○設置・運営形態は、公設・公営、公設・民営、民設・民営などの諸形態がある。民営といっても、保護者会が設立・運営するという形態がたくさんある。そのような意味では、市民が積極的に「公共サービス」を担ってきた分野。

○障害者福祉も同様の流れがあるが、いまや共働き世帯は過半数を占める中では、学童保育事業に関しては、より普遍的な問題としてとらえることができる。普遍的な「政治・政策への関与」。

○民営の運営主体、多くは保護者会の構成メンバーがが、行政や首長と交渉したり、署名活動・請願を行ったり、議員への働きかけを行ったりしている。政治・行政過程における市民の力量の度合いを観察することができ、また逆にニーズはもちろん力量をもつ市民に対する政治・行政過程の力量の度合いを考察することができる。

○指定管理者問題の動向は分けて分析すべきであるが、行政はいかなる主体と協働しうるのか、協働するための行政側、市民側双方の条件や獲得すべき力は何なのかを、考える材料にもなると思う。

2010年の「71人以上の学童保育には補助金を出さない」という問題は、その性格は置いておいて、観察を「時間」で区切って、自治体間比較を可能にしており、チャンス。

○指導員の人も加わるのならば・・・5年以内に7割がやめてしまう職場。大問題は賃金。基本は、フルタイムで働き、家族を養えるような補助金の体制ではないのではないか。その矛盾を正面から見据える必要がある。実は3545ぐらいのロスジェネの前の世代が、ロスジェネ世代とそれ以下の世代を、搾取しているのではないかという危惧。であるとするならば、「指導員が固定しない」というのはナンセンス。もし固定して働いてほしいのならば、そのような就労環境、とくに「賃金」を何とかしなければならない。学童保育事業だけでは難しいのならば、何らかの収益事業を行っていく、それに対する責任も運営する親が負っていくぐらいのことがないとだめ。とにかく、労働環境と、就労者側の意向を、しっかりと把握する必要がある。

 

【基本的な問い】

 なぜ、同じ規制(71人以上問題)が中央政府によってかけられたにも関わらず、自治体によって政策の選択が異なったのか?

 ⇒選択の違いによる帰結は、どのようなものであるか?

 

 →想定される政策的含意:

①「政策情報」をいち早く市民に公開し、硬直化している官僚制の中では生成し得ないようなアイデア・シーズを、限られた時間で政策化することを可能にするための支援システムの構築が必要?

②「公共」を担う市民活動の要件のキメをどうするのか。要件を厳しくする(npo法人各が必要だ、指定管理者だ、任意団体では不安だなど)などのプレッシャーは、公金を使うという面からの説明責任の確保にもなりうる。指定管理者制度になったとしても、指定随意契約のような形であれば(既得権の保有者は)良い。しかし法人格を取らせたり、指定管理によって行政活動へのオープン性を確保したとしても、そのサービス運営の適切性のチェックは、いまの枠組みではコスト・ベネフィットでしか図りえず、当該サービスの「質」を図るすべを開発せねばならない。これがなかなか難しい。なにか結論から言えることはないか?

 

【方法】

○同一人口規模ぐらいの自治体間比較。

○財政力や子育て環境資源等の比較検討。学童保育事業の経緯の比較検討。

○この間の各自治体の動向を詳細に年表化。

○この間の議会議事録のチェック。行政担当部署へのインタビュー。保護者会へのインタビュー。議員へのインタビュー。

【分析モデル】?

<キングダン「政策の窓モデル」>

「問題の流れ」「政治の流れ」「政策の流れ」がそろった時に、政策が実現する。

北本市学童保育連絡協議会  2010年度活動報告(2011.5月頃作成)

1.指定管理者制度と大規模分割がセットで投げかけられた2009年度

北本市学童保育連絡協議会は、設立から30年以上を過ぎ、現在では公設民営方式で8小学校区で11の学童保育室を運営しています。

指定管理者制度に関しては、地方自治法改正時より、市側から制度導入とNPO法人格の取得を要請されてきました。実際、北本市内においては、子育て支援関連では、障害児学童保育室、療育センターなどに指定管理者制度が導入されるに至っています。

連協では市側に対して同制度が導入されると保育の継続性が損なわれるのではないかという不安などについて意思表示をしており、市側も強硬な導入には至らないできました。

しかし、2010年4月から71人以上の学童保育室には補助金が下りないといういわゆる大規模問題との関連で、市側は、大規模学童を分割するが連協指定管理者制度導入とNPO法人化を受け入れる(A案)、厳格な入室基準を市側が設け、大規模学童の児童の足切りを行って分割は行わない(B案)、という2つの案を提示し、どちらにするのか、という提案を持ちかけてきました。

本来性格が異なるはずの、大規模分割問題と、指定管理や法人格取得の問題とが、取引材料として提示されたのでした。最終的には、市長も交えて、2009年度の連協役員が面談し、A案の分割・指定管理を受け入れたという市側の認識でありますが、指定管理者制度導入に関する具体的な説明は父母や指導員に全くありません。このように大規模分割問題と取引に使われた感があることについては、不信と疑念は晴れることがありません。この疑念や不安について市側に文書で投げかけたものの、回答はなく、市側に認識としては近い将来には導入したいということを表明してきました。

 

2.2010年度は指定管理者制度対策特別委員会で学習と具体的活動を実施

連協では2009年度より指定管理者制度特別委員会を設ました。2010年度も新たな委員たちは何が問題かがわからないという段階から学習を続けましたが、委員になった親たちは、勉強すればするほど、指定管理者制度導入反対の認識を深めました。同委員会の議論の成果を取りまとめ、議員懇談会を開催しました。この春の統一地方選挙では、市議会議員及び市長選挙があり、立候補予定者に対してアンケート調査を実施しました。回答候補者が少なかったものの、関係者の合意なき指定管理者制度の導入に対して反対の意思表示をした市議会候補者はすべて当選しました。しかし、学童保育への指定管理者制度導入に反対の意思表示をした市長候補者は落選し、現職が再選されており、その考えに同調するであろう議員も多く、現在勢力は拮抗しているところです。

一方、市担当者と連協役員等とは、何度となく、指定管理者制度について投げかけがされています。また201012月には、保健福祉部長、子ども課長などが指定管理者制度についての説明を実施しました。参加した保護者からは、これまで述べたような疑念がある点、全国的には学童保育への指定管理者制度導入によって弊害が多数報告されている点、業務委託形式でそもそも問題はないという点、また今の父母会・指導員の運営においても組織基盤・運営基盤がぜい弱なため、単にNPO法人化しても指定管理に耐える運営体制は整えられていない点、などについて訴えました。

連協としても、これまで8学童の運営に関して、管理的経費は全く計上することなく丸投げしてきたことについて改めて訴え、NPO法人格の取得に耐えうるような組織基盤・運営体制が整えられるように、人的・金銭的支援をすることを約束させました。その結果、2011年度予算より、管理的経費の一部を委託料に上乗せして予算化しています。また、万が一導入された時には、選考委員会に利用者代表を入れるように訴え、「検討する」との回答を得ました。しかし、行政担当者には、運営基盤の確立と指定管理者制度とは分けて考える必要があることを申し述べましたが、市側としては、このような約束は、指定管理者制度導入を前提としたものであるという認識を変えようとはしないと思われます。

3.社会的責任のある子育て支援団体へ:NPO法人格の取得に向けての取組

「保育に欠ける」児童を対象に、父母と指導員が手弁当によって運営が行われてきた学童保育の時代は終わり、学童保育による子どもの生活・遊びの支援の必要性は誰もが認識する時代となったと思います。そんな中で、多くの父母は、ただでさえ金銭的にも時間的にも負担を強いられる学童保育の利用と運営へのかかわりを、何とかしてほしいと考えているのが実際です。そんな中で指定管理者制度が導入され、ひとつの業者としてみなされて競争せざるを得ない環境に追いやられることは、指導員はもちろん、父母にも大きな負担をさらに強いることになります。

大きな負担がありながらも、子どもが生き生き育つ環境をつくっていくために、指導員の雇用を守り保育の質を向上させ、1億数千万円の事業規模に見合った透明性ある安定的な事業運営を作ることも、待ったなしの状況です。連協では2010年度にNPO設立に関する特別委員会を設けて、他市から講師を招いて勉強会を開催し、毎月議論を重ね、理事予定者等も交えて3度の設立準備会議を実施しました。そして2011429日に開催した第33北本市学童保育連絡協議会総会は、「特定非営利活動法人北本学童保育の会うさぎっ子クラブ」の設立総会と併せて開催し、連協組織のNPO法人格への移行が承認されました。

法人設立が承認され、今後は2年任期の理事による理事会を中心に、財務委員会、人事・労務委員会、保育事業委員会などの委員会活動の活発化を図る必要があります。また理事となった父母のみならず各学童保育室の指導員による積極的な運営・経営への関与を通じて、持続可能で安心して預けられる学童保育事業とともに、北本市全体の子育て支援に取り組めるような活動団体への展開が望まれます。これからが正念場です。

 

4.「運動性」をどこに担保するか/持続可能な「運営性」をどう育むか

市が進めようとしている指定管理者制度については、担当者や賛成議員らは、「これまで通り親の会である連協に指定すればよい」としていますが、「でもそれが継続するとは約束できない」という但し書きがあるものです。NPO法人格取得は、自立した市民による責任ある子育て支援団体としての学童保育運営団体への成長を目指すものですが、継続性が担保されず競争にさらされるような単なる一事業者扱いは、行政と市民とを分断し、協働して子育て支援事業をつくりあげていく契機を、失わせてしまうということを訴えていく必要があります。

しかしながら、NPO法人となった場合、あからさまに法人が指定管理者制度導入に対して反対を表明することは、制度導入推進派から見れば、「既得権の確保のために市民を動員する危ない法人」とみなされてしまいかねません。万が一制度導入が政治決着した場合、そのようなレッテルを張られてしまうのは得策ではないでしょう。

このような意味で、特に公設民営形式で父母会団体による学童保育事業の展開は、大きな節目を迎えています。今までは質の高い学童保育事業の展開する「運営性」と、学童保育政策の不備をただし要求を実現させる「運動性」とを、学童保育連絡協議会の中で二重に位置づけてきました。今後も「運動性」は非常に重要ではありますが、多様な価値観や制度に対する認識がある中で、「運営体」による「運動性」の行使は、受け取り方によっては「エゴ」とみなされかねません。

「保護者と指導員とが一緒になって運営する」という「協働性」が学童保育の良さでした。それは今後も揺るがないとしても、今後さらに「運動性」を大事にする必要があるのは、改めて、父母ないしは父母会なのだと思います。北本市では、NPO設立を契機に、各学童保育室の父母会連合会を組織化していただきたいと働きかけています。

一方で、「運営性」についてさらに真剣に考えていくにためには、運営に携わる父母はもちろん、指導員集団の力がますます大きくなるのではないでしょうか。

県連協には、今まで以上に、このような時代の状況に見合った保護者及び指導員向けの研修等の事業展開を望みます。よろしくお願いいたします。

指定管理者制度導入に関する父母会での議論に関して(2009.12.14 石戸学童父母会)

 石戸学童保育室父母会では、1212日の定例父母会において、指定管理者制度導入に関する話しあいを行いました。

 その結果、指定管理者制度については、指定変更に伴う運営主体・指導員の変更による子どもの混乱やサービスの質の低下、指定変更時には連協という親の団体が職員の解雇などを行わなくてはならないという不条理さ、などの理由によって、私たちは「反対」の意志表示をしたいと思います。

 しかし、この間の市担当者の言動の様子からは、市側は同制度の導入に対して強い意向があることも感じられます。同制度の拙速な導入そのものについては、私たちは反対ではありますが、もし導入が決まってしまったのならば、少なくとも下記の意見を参考にしたうえで、子どもも豊かな放課後の生活を過ごすことができ、また親も安心して仕事を続けられるような学童保育事業の継続を強く希望します。

 なお、連協を通じての意見表明だけではなく、石戸学童保育の「父母会」として、あるいは他の学童保育室の「父母会」と協働して、指定管理者制度導入に対する意見を市当局に提出することについても議論がありましたので、1月以降に実施したいと考えております。

 下記は、父母会にて出された意見をできるだけ忠実に書き写し、発言の内容ごとに分類・整理したものです。

 

【市側に対する不信感】

l  市役所は信用ならないと感じました。指定管理者の話に関しては、当初は財政状況の問題から導入について話があったのに、「現在の状況は法律違反である」というような違った理由に転化しており、騙されているのではないかとさえ思います。

l  指定管理者制度を導入するのか、導入に反対して大規模分割をあきらめるのか、というような、問いかけをされても、そもそも議論のしようがないと思います。

l  市側は、これまでの対市交渉などでの交渉内容についてはほとんど聞きいれてもらえなかったと思います。しかし今回は、「これがきまりです」ということを一方的に伝えてくることは、本当に納得がいかない思いです。

 

【継続的な運営に関する不安や方策】

l  ここで導入が決定されてしまい、あとになって後悔することになるのではないかととても不安です。

l  今後は、指定管理者制度導入後に、連協が引き続き継続して運得できるように、確約などがとれるのかどうかがカギなのではないかと思います。

l  指定管理者の審査や評価のプロセスを、連協とは別に、親の組織をしっかりと作って、監視していく必要があると思います。行政、連協、親が三権分立のような形で、相互に監視しあうようにしていく必要があると思います。

l  指定管理者導入後、評価のプロセスにしっかりと親がかかわっていけるようにすることが大事だと思います。

l  仮に数年連協に随意指定されたとしても、その後は安い所に流れると思われます。民間企業であれば、途中で投げ出されることもあり得るので、不安であるし、そうならないようにしていくことが必要だと思います。

l  指定管理者制度には今までも反対でいましたが、市の姿勢をみると、仕方がないのかな、という感じがします。指定を受ける条件を高いものにしてもらい、指定管理者制度は学童保育には向かないということをしっかりと訴えていきたいと思います。

l  運営について、利用者がしっかりとかかわっていけるのか、共有されていけるのかについても、審査や評価の基準にしていく必要があると思います。

l  これまでも市と話し合いを行ってきたので、そのつながりを生かし、またスタートの数年で次の指定が受けられるように関係を作っていくことが必要ではないでしょうか。父母の声もあげていくことが必要だと思います。

l  市の方に一方的に決めさせるのではなく、条件をしっかり出していく必要があると思います。

l  指定のサイクルを、少なくとも3年など短いものではなく、できるだけ長くしてもらえるように条件を設定すべきだと思います。

l  指定を連協が受けられなかったとしたら、私たちは学童をやめて、新しく学童を作る、というぐらいのことを、市側に伝えていくことも大事ではないでしょうか。しかしそのような覚悟が、連協や父母会にはあるのかどうか、そこも今後議論していく必要があります。

 

NPO法人格の取得について】

l  NPO法人をとることなどについては、組織の体力をつけて、市役所と交渉していくという点で、OKである。

l  連協の運営について、親自身もなかなかわかりにくくなっていることがあります。一方で、NPOなどの法人をとって運営していくことが、はたして親にできるのかどうかも不安であることも事実です。

l  NPO法人などを運営できるマンパワーが、親の団体にあるのかは不安でもあります。

l  市と連協、そして第3者の組織を作ってもらい、要望しないとダメなのではないかと思います。

 

【保育の質の低下に対する懸念について】

l  預ける立場としては、指導員の先生がころころと変わってしまうのは不安です。

l  連協の仕組みがよくわかっていないので、なかなか意見が言えません。しかし先生がころころと変更するのは不安です。

l  行事などが多い現在の状況は、働く親にとっては大変なところもあります。しかし、モノを預けるのではなくて、人間を預け、心を預けているのです。長年の人間関係によって成り立っているので、今まで通りの先生方に見てもらいたいと思います。

l  先生たちとの人間関係がとてもいい。今後心のケアについて、手薄になってしまっては困ります。現在の状態は子どもにとって一番いい環境であると思います。

l  保育料うんぬんよりも、はやり保育の内容、質にこだわりたいと思います。

l  経営者が変更しても、指導員は変わらないようにしてもらうなどの対応が必要だと思います。

l  子どもと先生の現在の関係はとてもいい状態であり、指定管理者制度によってそのような関係性が壊されるのであれば、反対です。

 

【指導員の身分保障や雇用に関する不安】

l  指導員のこれまでの実績について、市はどのように評価しているのか、あるいは評価するのか、そこをしっかり考えてほしいと思います。

l  指定管理者制度となって、仕事をとれないかもしれないのに、NPO法人を作って雇用の責任を親の団体に託すことについては疑問があります。指定されなかったときの職員の身分保障の問題を、市にはしっかりと考えてもらいたい。

l  職員の解雇を親がしなくてはならなくなる、ということはどう考えてもおかしく、そんなことがあってよいのかと、憤りも感じます。

北本市学童保育連絡協議会 指定管理者制度に関すること(2011.2.27作成)

 北本市学童保育連絡協議会は、設立から30年以上を過ぎ、現在では公設民営方式で8つの学童保育室を運営しています。

指定管理者制度に関しては、地方自治法改正時より、市側から制度導入とNPO法人格の取得を要請されてきました。実際、北本市内においては、子育て支援関連では、障害児学童保育室、療育センターなどに指定管理者制度が導入されるに至っています。

連協では市側に対して同制度が導入されると保育の継続性が損なわれるのではないかという不安などについて意思表示をしており、市側も強硬な導入には至らないできました。

しかし、平成22年4月から71人以上の学童保育室には補助金が下りないといういわゆる大規模問題との関連で、市側は、A案として、大規模学童を分割するが、連協が指定管理者制度導入とNPO法人化を受け入れる、B案として、厳格な入室基準を市側が設け、大規模学童の児童の足切りを行って分割は行わない、という2つの案を提示し、どちらにするのか、という提案を持ちかけてきました。

本来性格が異なるはずの、大規模分割問題と、指定管理や法人格取得の問題とが、取引材料として提示されたのでした。最終的には、市長も交えて、昨年度の連協役員が面談し、A案の分割・指定管理を受け入れたという市側の認識でありますが、指定管理者制度導入に関する具体的な説明は父母や指導員に全くありませんので、この問題、とくに大規模分割問題と取引に使われた感があることについては、不信と疑念は晴れることがありません。

この疑念や不信・不安に関しては、市側に文書で投げかけたものの、回答はなく、市側に認識としては近い将来には導入したいということを表明してきました。

連協では指定管理者制度特別委員会を設け、学習をしてきましたが、委員になった親たちは、勉強すればするほど、指定管理者制度導入反対の認識を深めました。同委員会の議論の成果を取りまとめ、議員懇談会を開催しました。この春の統一地方選挙では、市議会議員及び市長選挙も予定されており、候補者へ向けたアンケートも実施する予定です。

一方、先日、保健福祉部長・副部長・子ども課長・担当者を交えて、指定管理者制度について話し合いたいとのことで、連協会長が呼び出されました。連協三役、NPO特別委員会の会長、指導員会などと一緒に出向き、これまで述べたような疑念がある点、全国的には学童保育への指定管理者制度導入によって弊害が多数報告されている点、業務委託形式でそもそも問題はないのではないかという点、また今の父母会・指導員の運営においても組織基盤・運営基盤がぜい弱なため、単にNPO法人化しても指定管理に耐える運営体制は整えられていない点、などについて訴えました。

そして、これまで8学童の運営に関して、管理的経費は全く計上することなく丸投げしてきたことについて改めて訴え、NPO法人格の取得に耐えうるような組織基盤・運営体制が整えられるように、人的・金銭的支援をすることを約束させました。

また、万が一導入された時には、選考委員会に利用者代表を入れるように訴え、「検討する」との回答を得ました。

保健福祉部長には、運営基盤の確立と指定管理者制度とは分けて考える必要があることを申し述べましたが、しかし、市側としては、このような約束は、指定管理者制度導入を前提としたものであるという認識を変えようとはしないと思われます。

「保育に欠ける」児童を対象に、父母と指導員が手弁当によって運営が行われてきた学童保育の時代は終わり、学童保育による子どもの生活・遊びの支援の必要性は誰もが認識する時代となったと思います。そんな中で、多くの父母は、ただでさえ金銭的にも時間的にも負担を強いられる学童保育の利用と運営へのかかわりを、何とかしてほしいと考えているのが実際です。そんな中で指定管理者制度が導入され、ひとつの業者としてみなされて競争せざるを得ない環境に追いやられることは、指導員はもちろん、父母にも大きな負担をさらに強いることになります。

もちろん、NPO法人格取得など、社会的に責任ある運営体制を、父母と指導員が協働してつくっていき、子どもが生き生き育つ環境をつくっていくことは、今後の我々の課題ではあります。

しかしながら、指定管理者制度導入は、そのような自立した責任ある子育て支援団体としての学童保育運営団体に成長することを阻害し、行政と市民とを分断し、協働して子育て支援事業をつくりあげていく契機を、永遠に失わせてしまうということを、今後も訴えていきたいと思います。

 

以上

薬学部とのIPE

 勤務先では、IPE(専門職連携教育)に取り組んでいる。この間、2度目の文部科学省からの大型補助金を得て、他大学(薬学部、医学部、生活環境デザイン)と共同で授業を構築することとなった。この3月にはキックオフのシンポジウムを実施する予定。

 薬剤師を取り巻く環境を学ぶために、この本は読んでおこうかなと思う。タイトルがタイトルだが。

「残る薬剤師」「消える薬剤師」 (ZAITEN BOOKS)

「残る薬剤師」「消える薬剤師」 (ZAITEN BOOKS)

戦後京都市の政治動態(3)

市政不信による保革対立から複合的対立へ(1985年~2011年)

 1985(昭和60)年の今川市政第2期を目指した選挙では、自由民主党・公明党・民社党日本社会党の推薦を受けた今川が44.86%の得票を得て当選したが、前回も立候補した新自由クラブ社会民主連合推薦の加地和、日本共産党推薦の湯浅晃も健闘した。今川市政1期目に起こった「古都税(古都保存協力税)問題」によって市政や市役所に対する批判が高まり、共産や社民連も今川を推薦・支持をせず他候補の推薦に回ったため、このような結果になった(吉田ら 2007)。

 2期で引退した今川市政の後、1989年の選挙戦は、9人が立候補する混戦となった。結果、無所属で公明党・民社党が推薦、自由民主党が支持した京都府医師会長の田邊朋之が、日本共産党推薦の木村万平を321票差で下した。ここまで共産推薦の木村が善戦できたのは、田邊に対して自民が「支持」となったこと、日本社会党社会民主連合が支持した医師の中野進、京都市教育長や助役を歴任した城守昌二なども立候補していたことが大きい。またバブル経済のさなか、地価高騰問題や景観論争が起こっており、木村の主張がそれまでの共産党支持層以外からも支持を受けたことも大きな要因であったと言われている(吉田ら 2007)。

 田邊は1993(平成5)年8月の2期目をかけた選挙においても、自由民主党・公明党・日本社会党民社党社会民主連合からの推薦を得、また新生党日本新党からの支持を受けて、日本共産党推薦の井上吉郎を破って再選したが、1996(平成8)年1月に任期途中で病気のため辞任した。この後を継いだのは、教育長から転じて自由民主党・公明党・社民党新進党新党さきがけからの推薦を受けて立候補した桝本賴兼であり、前回も立候補した日本共産党推薦の井上吉郎らを破り、接戦を制した。

 桝本市政の2期目がかかった2000(平成12年)の市長選も前回と同じ構図で、多数の政党の相乗り推薦を受けて、日本共産党推薦の井上吉郎らを破った。桝本は3期目をかけた2004(平成16)年の市長選挙においても、元京都府立大学長の広原盛明らを破って市長の座を守った。

 1993年以降2004年までの選挙は保革対立の構造であったが、2008(平成20)年の市長選では、桝本と同じ京都市教育長であった門川大作を含む4人が立候補し、門川は弁護士で日本共産党推薦の中村和雄に951票差で辛勝した。他の2候補も合計で10万票以上を獲得していることを考えると、事実上の桝本の後継者と目され、市職員出身の門川に対する風当たりは非常に厳しいものがあったと考えられる。

 

 

 以上のような保革対立から複合的対立構造となった京都市政の動向は、この間の市議会議員選挙の結果状況からも垣間見ることができる。中央政界と同様に、旧社会党の議席数は激減し、民主党が1999年の選挙で11議席を獲得し、直近の2011年の統一地方選挙では13議席となった。自由民主党の議席数は、1991年には27議席を獲得しているものの、23から24議席で推移し、公明党も12から13議席で安定している。日本共産党は18議席から21席の間を推移していたが、2011年には15議席に減少した。そして、それ以前はしばらく無所属議員の当選が難しかったが、1995年以降3議席を獲得し、直近の2011年には、地域政党の京都党が4議席を獲得するなど、新しい勢力の出現を見て取ることができる。

京都市政 公共経営と政策研究

京都市政 公共経営と政策研究